車両別リファレンス
新幹線車両 100系


・諸元

制御方式 サイリスタ連続位相制御
連続定格出力 11040kw/16両
最高速度 220km/h(X・G・K・P編成)
230km/h(V編成)
台車 WDT202(V・K・P編成)
WTR7000(V編成)
主電動機(MM) WMT202(V編成)
編成定員 1277(X編成)
1319(G編成)
1285(V編成)
(P編成)
(K編成)

・ユニット構成

X・G編成

M’
主変圧器 主制御器

V・K・P編成

M’
主制御器 主変圧器

 基本的には、MM’の2両1ユニットで組まれているが、それにT車もしくはTc車が付属する。また、X・G編成とV・K・P編成ではユニットの組み方が違い、それぞれ逆方向の車両とユニットを組むようになっている。そのため、G編成3号車は1ユニットの車になるが、V編成3号車は2ユニットの車となる。なお、ユニット配線の方向が違うだけで、基本的な機器配置などは変わらない。

・説明

 国鉄がサービス改善を狙って、1985年に試作車X0編成を登場。新幹線としては21年ぶりのモデルチェンジとなり、先頭形状は0系の丸鼻から変わり、先の尖ったスマートなスタイルになった。車体塗装も白の色合いが若干違い、窓周りの青ラインも、下部に細いラインがひとつ加えられている。新幹線初の2階建て車両を連結し、外部の工業デザイナーなどの意見を取り入れた客車設備やインテリアなどの車内設備も0系から飛躍的に改善されている。
 車両性能、車体寸法も0系とほぼ同一で、主電動機出力の増強を行い付随車を連結することとなり、16両編成で12M4Tとなった。制御方法は200系に準じたサイリスタ位相制御を採用。ブレーキは発電ブレーキ常用の電気指令式となった。
 床下機器配置も基本的には従来と同じく、車体台枠に機器をぶら下げる方式をとっているが、冬季の着雪対策や騒音対策のために機器間に生じる隙間をフサギ板によってふさぎ、床下面を平滑化させている。そのため、交番検査などの検査時はフサギ板を取り外して機器箱を開けている。
 X編成は両先頭車と中間2階建て車2両が付随車となり、2階建て車のうち1両には食堂車が設置された。グリーン車は2階建て車1両と通常の平屋車1両が当てられ、2階建ての1階部分には1名〜3名用の個室が設けられた。普通車は通常の2−3列座席だが、シートピッチが拡大された。また、車内にFM電波によるオーディオサービスを行い、グリーン車では肘掛部分のジャックにイヤホンを挿入すれば聞くことが出来る。妻面に列車情報案内装置を設置し、車内案内や停車駅のほか、停車駅まであと何キロかなどを表示させることが出来る。また、X0編成(のちにX1編成)は窓が小窓だったが、車内からの眺望性を良くするためにX2編成以降は大窓へと変更された。また、登場当初は2階建て車に「New Shinkansen」を表す赤い「NS」のロゴが入っていた。
 JR以降後も量産が行われたが、X編成は全部で7編成だけ生産され、仕様を変更したG編成に移った。G編成は基本的な仕様はそのままで、食堂車を廃止してグリーン車とし、1階を車内販売基地兼カフェテリアとした。全部で50編成生産された。
 JR西日本も100系を導入したが、東海のものと比べてかなり仕様を変更したV編成を投入した。これは、両先頭車を電動車とする代わりに付随車の2階建て車を4両とし、うち3両はグリーン車、1両を食堂車とした。これにより、X・G編成とユニット構成が変わっている。また、1階部分は食堂車を除いて2−2の普通車としており、個室は廃止されている。また、グリーン車には液晶テレビを設置し、山陽区間でのみ放送を行っていた。なお、トランスポンダを装備し、山陽区間はATC信号を読み替えて230km/h運転を行ったほか、高速運転のために歯車比を小さく設定した。V編成は3000番台で区別され、全体で9編成製造され、東京−博多間の赤ひかり(のぞみ登場後は通しの「ひかり」)に通称「グランドひかり」として運転された。また、高速運転試験も行われ、275km/h運転も可能なように、マスコンはノッチ刻みが12ノッチまであった。ただ、車体の重さなどにより計画は撤回された。
 なお、1996年から97年にかけてG1〜G7編成がJR東海からJR西日本へと移籍し、0系NH編成の運用を置き換えた。なお、編成種別はG編成のままだが、NH編成の運用をそのまま置き換えたため一時は運用が別となり、運輸上の区別でのみ「N編成」と称されていたこともある(車両・旅客上は一貫してG編成のまま)。
 2000年10月に、こだま用として運行されていた0系Q編成(4両編成)置き換えのため、V1編成とV6編成がそれぞれ編成組み換え、小改造を受け、4両編成のP編成となった。M’c車にコンプレッサーなどの搭載を行い、車掌室として使えるように自動放送装置などの設備も設置した。なお、コンプレッサーは通常は1台使用で、運転方向が変わった時に使用するコンプレッサーも変わるようになっている。当初は車内設備もV編成当時のままだったが、のちに「ウエストひかり」で使われていたシートを設置し、2−2列とした。また、一部編成はG・V編成のグリーン車で使われていたシートのモケットを替え、設置している。また、列車案内情報装置も新たに改造されたものと変わっている。V編成の組み換えでは先頭車が不足するため、一部の編成ではG編成の先頭部を中間車に接合し、先頭車化改造を行っている。また、車椅子対応のM7車も改造を行い組み込んでいる。運転区間は博多−広島から姫路まで延びたが、現在は博多−岡山間での運行となっている。2004年度までにP1〜P12までの12編成が登場した。
 2002年2月からは0系6両R編成の置き換えのために6両編成も登場し、K編成と名づけられた。なお、Kは以前使われていたこともあるので、50番台で区別されている。P編成と同じくV編成からの編成組み換え、小改造により組成されたものと、G編成先頭車両による先頭車化改造、M7車のユニット改造によるものとで分かれている。車内設備はP編成と同一で、4号車に車掌室が新たに設置された。2003年度までにK51〜K60までの10編成が登場した。また、K59編成は最後のV編成となったV2編成を組成変更したもの。これにより、2002年にV編成が消滅した。なお、もとV編成車両はトランスポンダを外し、最高速度を220km/hに落としたほか、G編成からの改造車はATCなどの歯車比が違うため、機器側で修正を行っている。
 2002年7月に出場したK54編成から、0系WR編成でも採用された薄いグレーを基調に窓周りに濃いグレーとフレッシュグリーンを配した新塗装となり、従来の塗装で出場していた編成も全検入場時に塗装変更されている。
 1999年にX編成の定期運用がなくなり、2000年中に全車が廃車された。また、G編成も2003年10月ダイヤ改正(実質的には9月中)を持って定期運用から外れ、東海道新幹線から100系が消滅した。なお、JR西日本のG編成は2004年3月に最後まで残ったG7編成が廃車となり、これにより16両の100系は消滅した。

・後藤の解説

 正直な話、後藤にとっての新幹線は100系なのです。幼稚園〜小学生の頃に登場したこのスマートで端正な顔をした車両にものすごく憧れたものです。広島から東京に引っ越す時に乗ったのが100系で、いろいろと思い出もある。なので、今の色が変わって4両とか6両になった100系を見るのはちょっと悲しい。
 100系の車両の考え方は、0系とあまり変わっていない。制御方式は0系の低圧タップ切替制御に対してサイリスタ位相制御となっているが、制御回路は似たようなものだし、直流モーターを使っていたり発電ブレーキ用の抵抗器を持っていたりと、0系からしてあまり差はない。ユニット構成も2両1ユニットが基本形だし、「0系のマイナーチェンジ」と言われる所以はそのあたりにある。
 2階建て車は非常に大柄な車体だが、床下も車端部にある汚物タンクや水タンクに取られ、機器を配するスペースがまったくないため、機器室を設けて置いている。その機器室も、客室やサービススペースを出来るだけ広くとったため、機器などは非常に小さいスペースにかなり窮屈に押し込んである。そのため、それら機器を取り外す際はかなり狭いスペースに身体を入れて(というか忍び込ませて)配線やボルトなどを外さなければならなかった。さらには、車体剛性の関係などで機器室の機器搬入口も全ての機器に対してまっすぐあけることが出来ないために、一部はフォークリフトのツメを機器搬入口から斜めに入れて、人力によって機器を動かして乗せるということもしていた。配電盤も平屋車と違うところにあるため、初めて行ったときは「どこどこどこ?」という感じだった。とかく、2階建てにはいろいろ苦労した思い出があるが、それも最早いい思い出になってしまった。憧れだった100系16両モノをほんの1年間しかいなかった全検時代に見れたのはいい思い出。
 短編成化工事に関連して、後藤も1回だけ3号車の改造に携わったことがあるけど、ユニット配線の変更だけでもかなり大変だった。それでも、車体配線というものをよく見れたからあれはあれでなかなか面白かった。交検でも最初のころこそバタバタしたけど、かなり面白みのある車両だったことは確か。300系とか700系と違って、人間の手を入れて保守点検する面白さが存分に残ってる車両ではあると思う。
 短編成化されて色も変わってしまったけど、車両そのものが持っている基本性能の高さとか、リニューアルされて2&2になった客室設備のおかげで、山陽新幹線のこだま全体のクオリティを底上げしているから、結局のところ良かったのかもしれない。