関西2006五月シリーズ その3
阪和右往左往編


 大阪へやってきて2回目の週末。次の週末は研修も大詰めで、あんまりお出かけできるかどうかわからないので、今週末が乗りつぶしにはけっこう重要。今回はどうすっかなーと考えたところ、南海電鉄とその周辺にちょくちょく残っているので、阪和方面を集中的に攻めることに。
 今回の行程をうまく進められれば、南海電鉄は高野線を除いて完了することになるし、時間が余ったら関西空港でも行くかなーと思いつつ、おでかけしたのです。

5月20日
 いつもの通り朝もはよから出発して、いろいろ乗り継いで天王寺へ。環状線では、消えて行きつつある103系の体質改善車に乗車。201系の転配で将来的に103系は居なくなるし、状態のいい車は他の線区へと転出するらしい。てことで、オレンジ色の103系に201系も混じって、青色のままの201系も走っているこの時期の大阪環状線。青色の編成は、所属区所の表記が「神ホシ」(神戸支社 網干総合車両所)のままだった。
 天王寺に着いて、今度は阪和線に乗り換え。ふと、停まっている205系を見ると何か違和感。本線(JR京都・神戸線)から転属してきた6両編成だった。もともと阪和線に居た205系1000番台は、助手席側の前面ガラスが大きいのよね。
 で、さらにその向こうには、こちらも本線から転属してきた205系。しかも、なんと8両編成だ。

 阪和線に8両固定編成は、ラッシュの時に威力を発揮するだろうなぁ。
 ちょうどこの列車が日根野行きの快速だったので、乗車。どっちにしろ、まずは和歌山に向かうのに後続の列車に乗ってもいっしょだったんだけど、ゆっくり座れるしね。
 列車は美章園を通過すると高架に切り替えられている上り線と分かれて、乱雑に感じる地上の下り線を進む。実はこの日が地上線最後の日で深夜から未明にかけて線路切替工事が行われて、翌21日には下り線も高架に切り替えられたそうな。最後の地上線を通ったので、貴重といえば貴重。そういや、去年(2005年)9月に南武線乗った時も、下り線が高架になってて地平の上り線を通ったその後日に高架に切り替えられたもんなぁ。
 実際、この日の帰りに上り線を通ったんだけど、下り高架線のホームにも電気が入ってた。思えば、就職して最初に来た頃は、また工事に取り掛かったばっかしだったもんなぁ。
 杉本町で上り線も高架を降りて、以降は変わらない阪和線を南進。
 終点の日根野で後続の関空快速/紀州路快速に乗り換え。前5両が関空快速で、この日根野で切り離して先に出発。残された3両編成の紀州路快速は、この日は休みの日とあって「ぶらり海南1号」として、本来の終点の和歌山から延長運転して、海南まで運転するらしい。

 立つ人も居るくらいの乗り具合で、日根野駅を出発。写真の通り、時折日も指すくらいの天気だったんだけど、和泉砂川手前あたりから雲行きが怪しくなり、急にひどい雨が降ってきた。山中渓を通過して雄ノ山峠のトンネルに入る頃には小降りになったけど。
 紀ノ川の橋梁は架け替えするみたいで、工事をしている横を渡ると、和歌山駅に到着。
 さて、いったん改札外へ出て切符を買い直す。買った切符は、

 JRマークの紙なのに「わかやま電鉄」とか入ってる妙な切符。ってことで、南海電鉄から経営移管した和歌山電鉄貴志川線に乗車。
 南海電鉄の公式サイトの路線図から無視され続けていたことで有名な貴志川線だけど、2006年4月1日にその南海電鉄から経営を移管したばっかりの会社なので、まだまだ南海の匂いが残りまくってる。

 経営母体は岡山電気軌道で、3セクが運営を引き継ぐパターンが多かった中で、珍しいパターンといえるのでわ? 逆に、純民間企業がやるんだから、それなりに採算性に自信があったってことなんだろうな。大企業じゃ目が届かないけど、中小になるとやりやすくなるってのもあるし。
 まぁ、それに和歌山駅が基点の南海電鉄は、ひとつだけ抜け毛のように生えてた貴志川線をさっさと切り離したかったんだろうし。それに、もともと南海電鉄の系統じゃなくて、戦後に合併したわけだしね。
 そんな貴志川線も、後藤が乗りに行ったときは南海そのものでほとんど変わってなかったけど、車両のカラーリングの変更から独自色を出していくようで、ここでも水戸岡デザインを見ることに……。極個人的な意見だけど、ロゴやレタリングをベタベタ貼り付けすぎるのは好きじゃないのよ。レーシングカーとか、広告車じゃないんだから。
 とまぁ、そんなことは置いて乗車。車内は10時過ぎとしては、それなりなのかな? ってくらいの乗り具合。車内の吊り広告は地元幼稚園の園児が作った貼り絵が吊ってあった。この辺の、地元ときちんと触れ合うってのは大事だと思うよ。
 JRと分かれて住宅街の中を進んでいく、よくある「近郊ローカル」の雰囲気。日前宮駅を出ると、周りに田畑も出てくる。交通センター前駅は、その名の通りに交通公園らしきものと警察の施設(免許センターらしい)が。徐々に山がちになって田舎っぽい雰囲気になって、地方ローカル私鉄の感じに。山の中を通って、大池遊園ではすぐそばにその名の通りの大きな池が。この駅では、庭木の剪定とかのけっこう大規模な掃除をやってた。
 ローカルな雰囲気を持ったまま、終点の貴志駅に到着。

 なんで「いちご電車」なんて名前がついてるのかと思ったら、この辺はいちごの産地なのね。降りた時に気が付いたんだけど、ここで使われてる2270系って運転室直後の扉が片開きで、車端側は両開きなのね。なんか、阿武隈急行の8100系と似てるなぁ。
 折り返しはけっこう乗っていて、地元の人が和歌山市内へ出るために使ってるみたい。和歌山駅に到着したら、JRの改札を抜けないと外へ出れないので。

 出場証を渡された。こいつは、まだ「南海電鉄」のままだし、紙のデザインはスルKAN「スルットちゃん」とこの電車はなんだ?
 さて、続いては和歌山電鉄のホームのすぐうらにあるのりばへと移動。紀勢本線の105系に乗車して、南海の和歌山市駅へと向かう。南海への連絡線でもあるからなのか、乗客はけっこう乗ってた。
 和歌山を出発して、しばらくは左手に阪和線、右手に和歌山線と併走。阪和線が離れて和歌山線が右にカーブすると、こっちも左にカーブして阪和線をくぐる。このカーブに、昔の和歌山線との合流点があったんだろうな。カーブが終わると昔は「和歌山駅」を名乗るほどの立派な駅だったらしいのに、その駅舎は荒廃してさらに高架工事の関係で取り壊され、非常にこじんまりとしてしまった紀和駅へ到着。まだ工事してる最中で、あたりは乱雑に。
 紀和駅からさらに走って右に南海が寄ってきて、和歌山市駅へ到着。和歌山駅からほんの5分ほどでした。

 デザインが明らかにJRっぽくないホームに停まっている105系。そりゃぁ、南海の施設にJRが間借りしている状態なので。ここでのJR関係のものといったら、中間改札にある券売機とかそんなものくらいしかないし。
 さて、ここから和歌山港線に乗って和歌山港まで行く予定だったんだけど、時刻表を見たら次の和歌山港行きまで40分くらい待たなきゃいけない。と、ここで行き当たりばっ旅の本領を発揮して、目的地の和歌山港駅の場所と距離を地図で見て、歩いても充分に行けることを確認。ってことで、途中で廃止された和歌山港線の途中駅の跡もついでに見ることに。
 時折雨が降る中、明らかに整地された痕跡のある駅跡を見ながら、賞味40分程度で目的地の和歌山港駅へ到着。

 なんか、廃止されてるようにも見えてしまう怪しい駅舎と、すんげぇ古臭い駅名表。駅舎のすぐ裏側にはフェリーの切符売り場があって、その間からは四国徳島行きのフェリーのりばまでの連絡通路が延びてた。
 さらにここから先には、水軒までの廃線が残ってるはずなんだけど、さすがにそれは無理なのでやめ。

 さて、ここから和歌山市まで特急サザンで戻る。てか、一般車だ〜れも乗ってない。ほとんど空気輸送の中、さっき歩いた道を戻っていく。和歌山市駅は、さすがに難波へ行くとあってたくさんの人が列を成して待つ中、和歌山港から和歌山市駅への一区間だけ乗って降りると言う、変な客を演じることに。
 再び和歌山市に戻ってきたところで、和歌山港線のもうひとつの痕跡を。

 6番のりばと7番のりばは、ひとつのレールを途中でぶった切ってるんだけど、この7番のりばが和歌山港線専用のホームだったらしい。今はどこ行きと書いてあるわけでもなく、使ってなさそうな感じ。どうせなら、車止め外してひとつに復位すりゃいいと思うんだけど、意味ないんかな?
 で、続いては南海加太線に乗って、加太を目指す。

 相変わらず接続にロスがあって、ここでもけっこうな時間を過ごしたような……。
 加太線はひとつとなりの紀ノ川から分岐してるんだけど、列車は和歌山まで乗り入れ。昔は、直接和歌山市駅から分岐してたそうな。車内はけっこうな人が乗っていて、クラブか何かで学校があったのか、制服姿の学生もチラホラ。
 紀ノ川のけっこう味わいのありそうな鉄橋を渡って、その名の通り「紀ノ川駅」へ到着。ここから左へ平面交差で分岐。分岐は複線だけど、しばらく進んだところで単線に。割と家並みが続く路線で、スピードはあんまり出さないでのんびりとした感じで走行。線路も複線化の用地でもあるように見えた。
 八幡前駅でどっと降りて、磯ノ浦では海が見えて、この海岸に来たのか若い人が少し下りていった。ここから先は山に入って、線路と車輪が当たってギャーギャー言わせながら、掘割になった谷を超える。ぐにぐにとカーブを曲がったところで小さな街へ出て、終点の加太へと到着。

 駅は古い洋館みたいな感じで、街並みもこじんまりとした、のんびりしたような感じだった。
 さて、すぐに折り返して、紀ノ川へと戻る。紀ノ川で本線普通に乗車。

 個人的に、南海1000系って好きなデザインなのよね。どこがどう好きなのか問われると、わかんないけど。
 普通列車とはいえ、このあたりは駅間が長いし線路もいいので、快適に走る。つうか、さっきまでの路線がノロノロ走ってる印象だったからもしれないけど。県境付近は、JRの阪和線が長いトンネルで一気にぶち抜いてるところを、南海本線はなるべく山の際を通りながら避け気味に走ってるんだろうな。でも、なんとなく雰囲気は似てると思う。
 孝子駅を通過した先に、戦後廃止になった深日駅のホーム跡が見えた。そこから右にカーブを描いたところにみさき公園駅があり、ここで下車。今度は、多奈川線に乗って多奈川へ向かう。

 和歌山近辺に来て、この手のデザインの電車にけっこう乗ってる気がする……。いや、いいんだけどさ。
 和歌山市方面の南海本線と少しの間併走して、お互いにカーブして離れる。以前は交換設備があったらしい深日町は、線路は変なクランク描いてるし、線路のないガーダ橋にホームも残ってる。隣の深日港も、昔は賑わってたんだろうなぁと感じる駅。臨時改札の跡とか、駅のすぐそばに港もあるし。関西空港の開業前までは淡路島方面のフェリーが発着してたらしいけど、それが泉佐野へ機能移転したらしくそれから寂れたんだとか。
 深日港のすぐそばには、もう終点の多奈川が。

 使われていないホームの先からは、多奈川と深日港が目と鼻の先に。多奈川の駅もけっこう大きくて、降車用と思しきホームも残ってた。
 寂れてるような感じはするけど、それでもなんとなく雰囲気はいいし、深日町も深日港も、なんとなく降りてあたりを散策したくなるような駅の感じだった。
 踵を返してみさき公園へ戻り、本線普通と空港急行で貝塚を目指す。このあたりも駅間が長いようで、普通でもけっこう飛ばす。この、民鉄の先頭電動車らしい(JRでは聞く事のない)独特のモーター音が好きなのよね。
 ふと海のほうを見ると、関西空港へアプローチしている機体がお空に浮かんでた。その関西空港へと分岐する泉佐野で空港急行に乗り換え。そいや、以前来たときはまだ高架工事中だったなぁ。なお、この泉佐野到達で南海本線系統は空港線を残して完了。空港線はあとで戻ってくるので、とりあえず貝塚へ向かう。
 そろそろ日も暮れてきつつある貝塚に到着し、改札の外へ出る。駅の階段を下りたところにある水間鉄道へ。会社更生法の適用を受けて経営再建中だったけど、2006年6月に無事更生終了したようで。

 おぉっ、自動改札があるじゃん! と思ったものの、よく見るとスルKAN使えねーし。フツーに切符を買って自動改札を通過。車両は、東急7000系の先頭車化改造車。東急1000系をイメージしたのはわかるから、もうちょっとデザイン的にうまく処理すりゃ、かっこよくなるのになぁ。
 ワンマンの装備は持ってるけど、車掌が乗車して切符を売るだけでなく、その車掌が昔ながらに「鋏」を「カチ〜ン、カチ〜ン」と鳴らしながら歩く。古きよき時代を残した、今時珍しい路線。聞いた話では、「高齢者がワンマンのシステムについていけなかった」とか。まぁ、サービス的な面から見れば、車掌が乗ってるほうが間違いなくいいんだけどね。
 さて、そんな水間鉄道も座席の1/3が埋まるくらいの乗り。住宅の中をゆ〜っくりと左カーブして、その後はほぼ真っ直ぐ。阪和線をくぐるけど連絡駅があるわけでもなく、その先の清児は中心的な駅でもあるのか、けっこう降りていった。
 住宅の軒先を走ってる感じで、水間駅へ到着。

 駅舎は開業当時からのものらしく、有形文化財にも登録されているそうな。折り返しの列車までの間に付近をちょっと見たけど、検修庫はあるし車両洗浄装置も完備してるし、自動改札機もあるし、設備的には割としっかりとしてると思うわ。
 旧型車(もと南海の車らしい)もひとつ保存してあるようで。
 これでちょこまかとしたものは終了。貝塚へ戻って、いよいよ本日最後の路線、南海空港線へ。空港急行で、泉佐野から関西空港へ。

 りんくうタウンまでの高架は、地平時代の仮アプローチの橋脚も残ってて撤去作業中だった。JRと合流してからこの先は一応乗ってるけど、まぁ、建前の上では違うことになってるしね。てか、りんくうタウンの駅名表って裏表で違うのな。
 海を渡ったところで、関西空港に到着。就職する前に海外旅行で来て以来だったかな? あの時はゆっくり見れなかったので、このあとしばし空港見物して帰りましたとさ。


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