首都圏2005 その2
東京西外縁ぐるりん編


 そんなわけで2日目。上京中は基本的に「さいたまさいたま」在住の兄1宅を基点として行動するので、おのずとその辺からの乗りつぶしとなるわけです。で、この日はどうしようかなーと頭の中で地図を思い描き、昨日は首都圏東部方面だったから、今日は首都圏西部方面を攻めてみようと言うことに決定。
 なわけで、大宮駅前に降り立ったわけです。

9月17日
 昨晩初めて来た大宮駅。さすがは東北・上越方面の鉄道の要所だけあって、駅構内が広い。しかも、大宮工場も併設してるから、線路が非常に複雑。地平の宇都宮・高崎・京浜東北線、地下の埼京・川越線、そして高架の新幹線と、増設を重ねているせいで構内やコンコースもなんかわかりにくい印象。でも、JR東日本の駅構内サインを見ると「あぁ、東京に居るんだなぁ」って、なんとなく実感できる。
 とりあえず、手持ちのICOCAで入札し、埼京線ホームへ。

 日本最強を誇る鉄道路線、埼京線(意味としてはいろんな意味で最強です)で一路、武蔵浦和へ。埼京線そのものは、98年の東京旅行で武蔵浦和から赤羽まで乗ってるんだけど、まずはそのあたりの乗り残しを埋めてしまう。ちなみに98年の旅行の時は、東京から「快速むさしのドリーム」で京葉線から武蔵野線に入って、武蔵浦和で埼京線につないでいるので、今回は武蔵浦和で降りたらもちろん武蔵野線へ乗り換え。そいや、「むさしのドリーム」「マリンドリーム」っていう愛称名も過去のものになっちゃいましたな。
 さて、大宮駅を発車した205系は地下ホームから地上へと上がると、新幹線高架の下へ。そして、新幹線と寄り添って延々と赤羽まで進む。この辺は、もともと東北・上越新幹線を複々線で考えてたらしいものを、地元への見返りとして通勤新線として使ったとかいうあたりの経緯があるらしい。このあたりはもともと住宅地だし、新幹線もそれほどスピードを出さないので、ものすごく静かに軽快に走ってる感じ。イメージ的には、東海道新幹線の東京〜新横浜みたいな感覚かな。
 どうでもいいけど、E2系は両パンタがあんなに接近してて大丈夫なんかな。高速で走る列車のパンタが接近してると、先頭側パンタが架線を揺らすせいで後ろ側パンタが離線しやすくなる、って聞いたんだけど。
 南与野は外側に通過線がある待避駅。って、再加速したし。電GO!の影響のせいか、再加速すると妙に気になるのよ。そいや、98年に埼京線乗った時も、赤羽あたりで再加速してた記憶が……。
 武蔵浦和へ到着して、埼京線完了。そしてここで乗り換え。ここから先は、98年の後藤へ引き継ぎ。

 あの時は雨が降ってたなぁとか思い出しながら、列車を見送る。思えば、7年で首都圏の車両もずいぶん変わったよなぁ。98年って、京浜東北線から103系が撤退した年か。山手線は置き換えの声なんて聞こえなかったし、中央総武緩行線も103系がウジャウジャ居たなぁ。103系はほぼ撤退完了したし、113・115系も撤退間際。あの頃は、大宮方面から東海道方面に抜けようとしたら、乗り換えが必要だったもんね。埼京線で新宿まで出て山手線乗るか、京浜東北線で東京駅に出るか。
 輸送体形も車両も大きく変わったよなぁと思いながら、武蔵野線ホームへ。

 ちょうどよくやってきた、府中本町行きに乗車。ここからは、98年の後藤から引き継ぎ。そいや、あの時は103系だったね。今回はご覧の通り、205系の元祖武蔵野線仕様(なんで「元祖」が付くのかは後述)。京葉線仕様の205系と同じ顔ですが、京葉線の方は顔が白いしね。でも、京葉線仕様も武蔵野線仕様も、この顔けっこう好きです。
 武蔵浦和を出ると、東北本線与野駅への分岐線を分けて、西浦和では名物の「(実質)本線側が分岐」のポイントも。ここらへんが、武蔵野線の武蔵野線たる所以ですね。東所沢で乗務員が交代。新座貨物ターミナルとかあるし、各本線系統を東京都心に入れずに捌く関係で、貨物列車も割と多く通る。新秋津で乗務員室のカーテンが下ろされ、ここから先はトンネルの連続区間らしい。新秋津を出たところに訓練車があったけど、訓練センターってここにあったんだっけ?
 線路冠水で一躍有名になった新小平は、トンネルとトンネルの間にあるわずかな明かり区間の駅。半分近くはトンネルの中にあるし。この先のトンネル内で中央本線への分岐を分けて、西国分寺、北府中を経て、終点の府中本町へ到着。これで、武蔵野線は完了。そういえば、柏に住んでた時に武蔵野線に乗って、「府中本町ってどんなとこなんだろう」って思ってたけど、やっと来れたなぁ。
 到着したら、ちょうどこいつが居ました。

 転配の関係で、あの名立たる6M2Tという強力編成(ゼロヨン仕様?)の103系も撤退しましたが、その代わりにやってきたのがオリジナル205系顔をした、VVVF205系「205系武蔵野線VVVF仕様」。なんで元から居た「武蔵野線仕様」に「元祖」が付くか言うたら、こいつが来たから。よくよく考えりゃ、武蔵野線って微妙な珍車が集まる気が……。あ、京葉線仕様も、元祖が付くか。でも、オリジナル205系の京葉線帯はほとんどオリジナルまんまだしなぁ。

 車体側面だけ見たら、まったく一緒で見分けつかないんだけどね(右が「元祖武蔵野線仕様」、左が「VVVF仕様(5000番台)」)。なんか、「元祖武蔵野線仕様」の中間車を「VVVF仕様」にした「ハイブリッド武蔵野線仕様」も存在するとかいう話ですが。
#ちなみに「ナントカ仕様」ってのは、後藤が勝手に呼んでるだけです。
 さて、ここから今度は南武線に乗り換え。武蔵野線のホームは、南武線に抱き込まれた形になっているのですが。

 この、乗り換えの便とかちっとも考えちゃいねえだろう、っていう線路配置。まぁ、仕方ないと言えば仕方ないんだけど。ちなみに、武蔵野線から南武線に直通しようとした場合、府中本町は通過することになります。理由。武蔵野線と南武線の連絡線路にホームがないから。連絡線路は、ちょうど武蔵野線の着発線のすぐ外側(南武線ホーム線と武蔵野線ホーム線の間)を通ってるから。
 ちなみに、南武線ホームの上に見えるのは東京競馬場への連絡通路だとかナントカ。
 さて、今度はその南武線で登戸まで向かうことに。

 やってきた209系に乗って、府中本町を発車。川崎から登戸までは、96年に乗っているので、ここが埋まることに。立川〜府中本町が残るけど、このへんの中央本線沿線って、けっこういろいろなものが残ってるからね。
 府中本町を出たら、南武線と武蔵野線の方向別複々線から線路別複々線に変わって、多摩川を渡る。渡りきったところで武蔵野線はトンネルに突っ込み、こちらの南武線は左にカーブして地形的には多摩川沿いに進む。南武線て、考えてみりゃ多摩川沿いに敷設してあるようなもんなのよね。稲城長沼を出ると高架が右に現れて、下り線はすでに高架に切り替えられてた。こちらの上り線ももうすぐ高架に切替を行うような感じで、実際に今はすでに高架に切り替えられたそうで。この高架も矢野口の先で終わって、京王線と交差。さらに進んで、小田急小田原線と交差する登戸に到着。ここで、小田急小田原線に乗り換え。

 多摩川橋梁の複々線化及び登戸〜向ヶ丘遊園の3線化工事で、ものすごく雑多な登戸駅。以前来た時は相対式ホームだったけど、現在は(将来は新宿方面のホームになる)島式ホームに変わってて、多摩川橋梁も新上り線になる新橋梁になってる。新下り線側は、現在架けてる最中かな。
 江ノ島線を乗り潰すため、とりあえずやって来た急行に乗って相模大野へ。小田急って混雑してる印象があるんだけど、やっぱり混雑してた。ラッシュは酷いっていう印象はあるし、そいや小田急で座った記憶って、ほとんどないなぁ。
 相模大野で藤沢行き快速急行に乗り換え。

 登場当初は「なんじゃこのデザインは」と思った3000形。個人的に、1.6m幅ドアの側面デザインって嫌いだったのよね。線も細帯になったけど、太帯だとなんか野暮ったく見えるので、この意匠変更には賛成。そいや昔、GSに改造写真なるコンテンツがあった時に、前から野暮ったく見えてた203系の帯を細くしたらなんかイイ感じになったなぁ、ってのをやったことあるな。
 さて、ここから江ノ島線は初乗車なんですが、何かこれといって印象に残っていない。民鉄っぽい沿線風景だなぁって感じで。車内もなんだかのんびりムードで、個人的な感覚では、あっという間に藤沢に到着。ここで、片瀬江ノ島行きに乗り換え。さっきよりもさらにのんびりムード漂う車内で、本鵠沼、鵠沼海岸に停車して、終点の片瀬江ノ島に到着。これで、小田急江ノ島線も完了。

 竜宮城のような駅舎。まだこの時期は暑さも残ってたから、観光客もそこそこにいるみたい。
 さて、ここからは、「ほぼメインイベント」のような路線に向かうために、商店街じみた道を歩く。途中、江ノ島電鉄の江ノ島駅の横に通って線路も渡る。そしてその先にある、本日のほぼメインイベント。

 湘南モノレール湘南江の島駅。そう、この湘南モノレールに何よりも乗りたかった。だって、乗る人乗る人みんな「おもしろい!」っていうんだもん。話には聴いていたけど、やっぱり乗らんとね。
 古びた雑居ビルのような建物を上がって、ホームへ。すでに列車は入っていて、早速乗り込む。つうか、目の前にもう山があって、そこに突っ込んで行く軌道は……。

 いきなり山岳トンネルですかい。高所恐怖症の人は辛そうな懸垂式モノレールで、しかもトンネルってのもかなり珍しいと思う。しかも単線だし。
 路線そのものは、聞いてた通りおもしろい! もともと、京浜急行バスの専用道路のところに作ったらしいけど、これはおもしろい。住宅地の中を通る、フツーの道路の上を走ってるんだもん。しかも、けっこうアップダウンもあるし。途中なんか高度を下げて地面近くまで降りてきて、車両の腹を擦りそうな感覚にもなったし。なんていうか、ジェットコースターの趣があるっつーか、下手なジェットコースターよりもおもしろいと思うよ。
 新交通システムとかモノレールって、大規模な道路整備と一体的にやってる(道幅の広い道路と併走してるのが多い)けど、本来はこういうのが「アップダウンや急曲線に強い」新交通システム・モノレールの正しい形なんじゃないかと思う。まぁ、作るときの財源とか名目の都合とかあるんだろうけどね。

 楽しんでるうちに大船に到着。あー、楽しかった。機会があったら、また乗りに来よう。
 さて、大船からは今度は根岸線(京浜東北線)に乗り換え。これで、横浜まで行ったら本日の行程はほぼ終了。

 京浜東北線とほとんど一体的な運用をされているので、車両も209系がそのまま入ってきてる。
 横浜の山手の海岸沿い、丘陵地を走るみたいで、トンネルや掘割、起伏なんかもあって、意外と変化がある。路線自体も比較的新しく出来たところだから、設備も近代的。保安装置はATCを使ってるけど、地上信号機もあるのは貨物が通ってる関係みたい。洋光台から新杉田のあたりで遠くに横浜ランドマークタワーが見えて、「ハマ」の路線であることを実感。そいや、シーサイドラインにも乗らんといけんなぁ。
 根岸では、石油用のタンク車がヤードに大量に留置中。この辺は、石油コンビナートなんかも多いし、そのあたりが根岸線が作られた理由でもあるんかな。遠くに見えていたみなとみらいの建物群がだんだんと近づいて見えてくると、そろそろ横浜の中心部へ。桜木町では、隣に廃止された東急東横線の遺構が。架線は撤去されてるけど、構造物はまだ残ってる。ここらへんは、今後どう活用するんだろ。
 そんなことを思いながら、列車は横浜駅へ到着。これで、根岸線が完了して今日の行程は終了。
 このあと、湘南新宿ラインに乗り込んで大宮まで戻りました。


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