赤い隕石号って、ナニ? |
ほぼ納車直後(実家すぐそばにて)
1.赤い隕石号〜スイフトスポーツとは〜
スズキが2003年6月に発売した(2005年3月に生産終了)、3ドアのスポーツハッチバックがこの「スイフトスポーツ」です。こいつは、そもそもスズキがJWRC(ジュニアWRC)に出場していた「イグニススーパー1600」の市販モデルとして売り出したもので、ベースとなっていたのは「泣く子も笑う79.8万円」のCMで有名なあの激安車「スイフト」です。でも、あれは5ドアか。確か、輸出仕様に3ドアがあったからそいつを国内用に転用したんだったと思う。
そんなわけで、02年からJWRCに参入し、メキメキと成績を上げていったイグニススーパー1600を彷彿とさせる車が、このスイフトスポーツなのです。もともとが軽自動車の「Kei」のシャーシをベースにしてるから、なんていうか、軽自動車っぽい要素もたっぷりあります。エンジンはエリオ用の1500ccをチューンしたM15A型のハイオク仕様。コンパクトカーのくせに贅沢なやつです。
左:エンジンルーム 右:エンケイOEMの白いアルミホイール
2.スイスポにしたワケ
就職当時は関西に住んでたので車が無くても暮らしていけたのですが、転勤で博多へ移り住むと車がないとなんとも言えない状態に。自転車通勤のキツさ(特に力仕事した後の帰り道や真夏・真冬はつらかった)や同僚に乗せてもらうのも片身が狭いし、1年ほど経った段階で車がほしいなーと思い始める。金もそこそこあるし、車買うかなーと思ったわけです。
もともとWRCに興味があって、本当はインプレッサ(GC)が欲しかったのです。でも、けっこう値段がするし諦めていました。その傍らで、JWRCでイグニスが活躍しているのを知ってて、以前から「スイフトにエアロ組ませたらカッコイイのになー」とか思っていたので、スイフトスポーツの発売はまさに朗報でした。1500ccのエンジンとKeiベースのコンパクトなボディは、初めて愛車を持つ後藤にはちょうど良さそうだったし、なによりもレカロシート(つうてもスズキ内製フレームだけど)を装備して、あんなやんちゃっぽさを持った車が119.8万円(税別)ってあたりに、大いに魅力を感じたのです。さすがスイフトって感じで。雑誌とかのインプレも、割と好感触だったし。それに、高校生の時はダイハツのYRVに興味があったのですよ。でも、YRVはターボがATしかなかったし、ちょっと高めだったし。
ということで、当時博多に住んでいた後藤はカタログなんかを見ながら考えていたのですが、住民票が実家(鳥取県西部)にある関係と実家のとなりがスズキも取り扱ってる自動車整備屋さんだったので、実家で登録を行うこととしました。連休に実家に帰って、米子まで出て試乗車に乗せてもらった時点で買うことに決定。直線道路の信号で引っかかった時にフル加速をしてみたんだけど、エンジンもよく吹け上がるしものすごく楽しい。割と取り扱いも良さそう。2003年9月、実家に戻って早速契約を済ませてました。
3.一応比較検討
はっきり言ってスイスポ以外には目がなかったのですが、一応他の車種も検討することだけはしてました。ってことで、その一覧。
・スバル インプレッサWRX …… ラリーカーってことで、そもそもの本命。中古でも割と値段がするし、それなりの扱いを受けてるのが多かった。
・スバル インプレッサスポーツワゴン …… インプつながり。ワゴンで使い勝手も良さそうだったので、購入検討もした次の本命。でもスイスポの魅力には負けた。
・スズキ スイフトRS …… スイスポに対する対抗。値段で考えりゃ、エアロもついてて安いこっちだったけど、某巨大掲示板の「スイスポのほうが楽しい」という言葉を信じて切捨て。その通りだったと思う。
・マツダ デミオスポルト …… マツダも好きだったし。5ドアで使い勝手が良さそう。でも、やっぱりスイスポほどの魅力は無いし当時住んでいた寮にデミオ乗りがいたのもあってやめ。
・トヨタ ヴィッツRS …… スイスポのほうが魅力が上だし、それほど魅力を感じなかった
・ホンダ フィット …… タイプRとかあったら興味をそそられたけどなー
・プジョー 206 …… WRCつながり。
・フォード フォーカス …… WRCつながり。
そんなわけで、結局のところスイスポの「装備・価格・意気込み」という魅力に勝てる車が無かったと言うことです。エンケイ製の白いホイールとか、240km/hまで刻んである青く輝くホワイトメーターとか、「かっちょえー」と思わせてくれるパーツがいっぱいだったのです。ちなみに、色を赤にした理由は単純に「赤が後藤のコーポレートカラーだから」です。
お気に入りのメーター、距離もちょうど82km
4.ウキウキワクワクの受け取り
契約した時には「色によっては3ヶ月待ちらしいよ?」と言われたけど、30分後には契約書に車台が書いてありました。そんなわけで、9月中旬に契約して月末には登録が完了してました。でも、当時博多に住んでいた後藤は連休が無いと取りにいけないため、結局は10月中旬まで預かってもらってました。
で、連休の日。職場であった飲み会も1時間ほどで切り上げさせてもらい、新幹線と特急を乗り継いで実家のとなりの駅へ(実家最寄り駅は特急が止まらないの)。そこにオヤジが待ちに待った新車とともに出迎えてくれてました。あぁぁぁ〜、ご対面♪ それも座席どころかサイドエアロの保護フィルムもつけたままで。早速、後藤の運転で実家まで初ドライブ。信号待ちで、1速に入れてゆっくりとクラッチをリリーs……、エンストした。あれ、試乗車はこんなんじゃなかったのになー。聞けば、親父も同じことしたそうな。ってことで、軽くエンジンをふかしながらクラッチリリース。吹けもちょっとイマイチだし、サスペンションもまだ固いなぁ。この時、やっぱり今時の新車といえども慣らし運転はしなきゃいけないなーと思った次第です。
翌日から、ウキウキと新車ドライブ。そして、博多までのひとりで回送。初めて持つ愛車だし、快走できる国道と閑散とした中国道をマイペースに7時間かけて博多へ。でも、この時の連続走行でエンジンも割と回せたと思うし、運転にも自信がついた。
そんなわけで、後藤と赤い隕石号の生活はココから始まったのです。