シティウォーキング・レポート
天神川を歩く


 3月13日のダイヤ改正で、山陽本線広島〜向洋間に「天神川」という駅が開業しました。後藤が4月から広島で住む寮も、この天神川駅が最寄となります。
 さて、この「天神川」という名前。地元の人にもあまり知られていない名前で、この駅が出来て初めて知ったという人も多かったようです。この天神川とは、駅のすぐ目の前の遊歩道下を通る小さな川の名前で、現在はほとんどの区間が暗渠に覆われて、その姿を見ることが出来るのはごくわずかとなっています。地元テレビ局では、この天神川についての放送をしたようですが、後藤もすぐ近くに住む人間として、その川を追ってみることにしました。
 その順序として、下流の新大州橋を出発点とし、源流のある尾長天満宮まで約3キロを歩きました。

・天神川JR西日本ニュースより抜粋
 菅原道真が、九州大宰府に下る途中、尾長山に登って休息したと伝えられ、そのゆかりの地 に「尾長天満宮」が建立されました。
 この尾長天満宮後方の山を天神山と称し、谷を天神谷と言い、その地を源とし、新駅を計画 している地域に流れ出ていた川が「天神川」です。
 現在は、そのほとんどが地下水路として整備され、道路や歩道となっており、当時の面影を あまり見ることはできませんが、いまだに永々と流れており、その天神川と山陽本線が交差す る地点がまさに新駅を設置する場所であり、この名称を選定いたしました。
参考
 現在、新駅計画地付近の山陽本線に平行する天神川は地下水路として整備され、遊歩道とな っていますが、この遊歩道「天神川プロムナード」は、平成11年7月、個性的で魅力あふれ る人工景観として、当時の建設省が表彰する「手づくり郷土(ふるさと)賞」に選ばれました。
 この受賞を記念して、平成13年から毎年秋に地域の皆様方による「天神川遊歩道まつり」 が開催され、多くの方が参加され賑わいを見せています。また、憩いの場所ともなっており、 地域コミュニティーの場所として、その用途が拡がっています。


2004年4月29日
 10時ごろに寮を出発し、すぐ近くにある新大州橋まで歩く。

 ここで、天神川が府中大川へと合流しています。この府中大川ももう少し下流へ行くと京橋川へと合流します。割と河口に近い場所でもあるんだけど、府中大川も天神川も、このあたりはあんまりきれいには見えない。というか、むしろ汚い。天神川も高度成長期には下水路として使われていたこともあるらしく、そのせいもあるのかも。
 さて、ここを起点として川に沿って上流へと歩きます。ここはまだ川幅が広いですが、河口に近い下流域のせいもあってか、川は澱んでいるような感じ。護岸はきちんと整備されてるけど、木が覆い茂っていたり反対側の中洲も藪で覆われていて、正直きれいには感じない…。

 少し広がっている場所に出て、道の下をくぐります。ここは橋ではなく、土手に導水管でつなげたような感じ。ちなみに、このすぐそばに下水処理場もあり、処理された水はこの天神川へと流されているようです。潮が引いている影響で出てきているのか、川底もきれいな川底ではなく、ヘドロのような感じ。この川が浄化されるのは、ずいぶん難しい問題のような気もする。

 道をくぐると、川は急に細くなります。道路の下、少し低い場所を水路のように川が走っています。子供の遊び場にもなりそうな雰囲気なのですが、もっときれいであればそうなるのでしょう。川に沿って走る道を歩きながら、この川がクローズアップされるきっかけとなった、JRの天神川駅が見えてきます。そのすぐ手前で、川は小さな入り口から暗渠へと入っていきます。

 天神川駅の上りのりばと下りのりばを結ぶ通路。車道はもう一段低いところを通っているので、おそらくこの下あたりを川が通っているものと推測されます。ここを抜けると、天神川駅の駅舎が現れます。この日も、ダイヤモンドシティに向かう人たちで、けっこう賑わっていました。
 駅舎のデザインは、その名の通り川の水の流れをイメージしたものだそうで、和風の雰囲気と共に川の流れを表す水色のラインが入っています。また、下り乗り場の改札を入ってすぐ左に、「水琴窟」という水の音をつぼの中で反響させ、琴のような音を響かせるものがモニュメントとして設置されています。

 この天神川駅から矢賀新町踏切のあたりまでは、天神川の暗渠の上を「天神川プロムナード」として整備され、賞も受賞しているようです。ここら辺は、高校時代にチャリンコで走ってきたことがあるなぁと。当時は、こんなところに駅ができるなんて思ってもいなかったし、だいたいにしてこのあたりに住むとは思ってなかったもんなぁ。
 遊歩道は住宅の裏側を、それこそ昔は川があったような面影も残しつつ通っています。広島運転所と広島貨物ターミナルに沿って伸びる遊歩道を上流へと追い続けます。

 北側から新幹線の高架が寄り添い、JR貨物の広島機関区やJR西日本の広島運転所の横を歩きます。途中、道路が暗渠の上を通ったりしながら、新幹線高架と広島運転所にはさまれ、この運転所をくぐる地下道の手前で遊歩道も終点となります。途中にはベンチも置いてあり、この日も犬の散歩をしたりする人が歩いていました。ちなみに、ここら辺はいつもの通勤路…。
 さて、この遊歩道が終わってすぐ、再び川が姿を見せます。新幹線と芸備線、広島車両所への回送線が川を跨ぎ、ほんの短い区間日の光が当たっています。ここからしばらくは、暗渠に閉ざされたままとなります。このあたりも、あまりきれいではなく、ゴミなんかが捨てられていたりしますが。
 遊歩道を少し戻って踏切を渡り、新幹線の高架沿いに続く道路を進みます。道端に暗渠へ雨水などを流す格子があるので、それを目印に歩いていきます。

 新幹線の高架沿いに歩き続けると、右側にコンクリートの道が現れます。車止めのコンクリートの塊が置いてあるので、歩行者・自転車専用という感じみたいですが。住宅の裏側を通っているという雰囲気的にも、格子もこっちのほうへ伸びているのでこの下に川が通っているのでしょう。
 ゆっくりと歩いて行くと、確かに昔は川だったような面影が残っています。道に大きく張り出した木や住宅への入り口がまったくない感じからも、暗渠となって川に蓋がされ、その上が道となったみたいです。

 広島駅へと繋がる道路へと出ますが、橋があったような雰囲気はどこにもありません。歩道に出ているコンクリートの部分が、暗渠を示すだけのようです。この道路を渡り、再び路地裏の雰囲気のような道を歩きます。途中にデカイ犬がいたり、工場の裏を通ったりと、完全な下町の雰囲気。道幅も徐々に狭くなって、川幅が狭くなってきているんだろうなぁという感じです。


 再び交通量の多い道に出ると、我羅我羅橋という案内のかかれたものが設置されていました。どうも、このあたりでは「古川」と呼ばれていたようで、昔の写真も載っていました。この道は昔の西国街道という記述があり、参勤交代の通り道だったそうです。昔は割とこのあたりも栄えていたようですが、今はそんな雰囲気もなく、完全な下町の空気です。
 ただ、このあたりから「二葉歴史の散歩道」という、芸備線矢賀駅から不動院(アストラムライン不動院前付近)のあたりまで続く、整備された道に出ます。

 暗渠の上に出来た道は、しばらく進むと突き当たり、普通の道へと出ます。ただ、コンクリート部分が露出していて、完全に暗渠とわかるような形になっています。ここに、「二葉歴史の散歩道」の案内看板が立っていました。ただ、この全行程を歩ききるのは、結構な健脚じゃないと難しいと思うけどなぁ…。
 この付近から完全に暗渠という雰囲気がなくなって、普通の道路の上を歩くことになります。ただ、やっぱり格子がある程度の間隔であるので、この下に川が通っているのでしょう。小学校と中学校の横を通り、二葉の山が迫ってくる道を歩いていきます。

 公園に近づいたところで、道路の真ん中にそれっぽい割れが出来ていて、それが公園横の歩道を通って山のほうへ向かって伸びています。この先には、最終目的地の尾長天満宮があります。この坂道を進むと。ものすごく小さな流れになった川が、むしろ川ではなく側溝という雰囲気の中、再び姿を現しました。道路の横を側溝となって走っています。

 そして、最終目的地の尾長天満宮に到着。別名「天神さん」とも呼ばれているそうで、これが尾長天満宮のあたりを源流とする「天神川」の名づけの由来となったようです。菅原道真が大宰府に下る途中、このあたりで休息をとったという由来から、ここに社殿が建てられたそうです。
 さて、川を追って行くと、神社横を通り、境内の中へ入っているようです。せっかくの社殿へと入るので、一旦下に降りてから正面からきちんと入ることとしました。きちんとお参りを済ませてから、改めて境内を見渡します。

 境内を横切るような形で、水路が通っています。これが社殿背後の山から流れているようで、境内を通って神社横の道路の側溝へと流しているようでした。そして、社殿の横にはもうひとつ小さな鳥居と人が上がれるような道が出来ており、そこを上って行くと、完全に自然の中にある川へとたどり着くことが出来ました。ただ、ここから先は完全に自然と同化しているため、源流を追うのは断念しました。ただ、二葉山の付近を源流としている事は間違いないようです。

 全行程1時間程度の、小規模なシティ・ウォーキングとなりました。工業地帯の端から川をさかのぼり、JRの車両基地横や住宅地などを抜け、最後は由緒のある神社の境内、そして自然の中へと通じている、割と変化に富んだコースだったと思います。
 そういうわけで、このレポートを終わらせていただきます。機会があれば、いろいろとシティ・ウォーキングのレポートをしていきたいと思っております。


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