1995年3月20日 |
この日はいわずと知れたオウム真理教の地下鉄サリン事件の日。
後藤の思い出としては、小学校の卒業式の日だった。
当時、柏に移り住んでちょうど5年が経とうとしていたとき。
うちの親父は柏から地下鉄千代田線で都心を突きぬけて成城学園前まで乗って都下の研修所の教官をしてた。
もちろん、この日も仕事。
ということは、地下鉄サリン事件にあいかけていた。
その日の親父は、都合で(掃除番だったか?)早く家を出て、いつもよりも早い電車に乗ったらしい。
前日に「明日は早く出る」とかそういう会話を聞いた覚えがある。
後藤は、卒業式だからこの日のために母さんが買ってくれたブレザーを着て、近くの友人4〜5人と一緒に登校した。
少し薄曇の、ちょっとだけ肌寒い朝だったのを覚えてる。
みんなええカッコをしていた。(うちのクラスに1人、家庭の事情うんぬんで私服に近い恰好だった女の子がいてかわいそうだったが)
卒業式は予定通り終わった。後藤が、うちのクラスの退場先頭だったため、終わって体育館を出たときにホッと息をついたのを覚えてる。
いったん教室に戻って、で先生と5年に送られて玄関前でみんなで写真撮った。
母さんと一緒に家へ帰ってすぐ、友達から電話がかかってきた。
ちょうどその友達と遊ぶ約束をしていた。
で、自分を確認して次の言葉は、「テレビですごい事やってるよ」だった。
母さんに伝えて、テレビをつける。それが地下鉄サリン事件だった。
母さんが家を出る前に、モーニングショーで「都心でテロがあった」と言うのを耳にしたらしい。
でも後藤は親父の安否などまったくほっといて友達の家に遊びに行った。
で、当の親父は。
地下鉄サリン事件など知らずそのまま職場についたらしい。
でも、いつもと同じ電車に乗っていたら、その1〜2本あとが被害にあったそうな。
つまり、事件性から見るとぎりぎり危ない。
後藤が家に帰ってくると、状況がだいたい掴めていた。
田舎から電話もかかってきたらしい(兄談)
後藤は無信心だし、信仰宗教は好きじゃないからアレだけど、
オウムに破防法適用は必要だったと思う。
1番後藤が思う事は
3月20日は地下鉄サリン事件の日になった事。
それが1番イヤ。