中国山地乗りつぶし第1弾
山口・三江線編


 ここのところ、もっぱら関西方面ばっかり攻めてるんですが、実際問題地元の中国地方にも未乗車線区がいっぱい残ってるのよね…。
 そんなわけで、9月はどえらい休みが多く入ったのでこれをいい機会に中国地方を攻めることに決定。とはいえ、予算的に出来る限り安く仕上げる必要性があるため、現在住んでいる寮を起点に、各線区を効率的に乗ることに決め。それに、魔法も多いに使えるしなっ! そんなわけで、まだ未乗の路線をピックアップして、以前からまとめていた行程表を作り直し、行程を決定。

2004年9月12日
 朝4時。目が覚める。……眠気が襲ってこない。んー。仕方ない、起きよう。
 本来はもうちょっと遅く出る予定だったものの、この時間に起きれば始発に乗って周れるなぁ…。再度行程表を見直し、決定。ってことで、お出かけです。

 朝5時。まだ外は真っ暗。バスも動いてなけりゃ、駐輪場もまだ開いてないから、歩いて広島駅まで向かう。山陽本線を走るのは貨物列車と、寝台特急くらい。っていうか、さくら・はやぶさはこの時間帯に広島を通過するのか…。
 広島駅に着く頃、ようやく空も白み始める。広島駅には、朝帰りと思しき人がちらほら。日曜日の朝だかんなぁ…。さて、ホームに下りて、列車をしばらく待つ。横川方からやってきた電車が、折り返し山陽本線下りの始発列車となります。っていうか、この列車も岩国4時58分発かぁ…。

 広島5時50分発下関行き529Mに乗車。一路岩国へ向かう。見ての通り、アコモ改善車なので、車内は223系と同じタイプの転換クロスシート。外見は115系でも、車内をしっかり作り変えてあるからなぁ。日曜の早朝とはいえ、割と乗る人は多いようで、この日もクロスがひとりずつ埋まる程度の乗り。その転換クロスシートに座り、朝日の中、山陽本線を下る。途中、西広島付近で意識を失う。朝、早起きしたからなぁ…。そのまま、気がついたら大竹を過ぎたあたり。一瞬、自分の現在地を見失う。あれ? どこだここ。ん? おぉ、次岩国じゃねえか。あぶねー。

 いったん改札の外に出て、ハートインで朝食を調達。もそもそと食らい、次の列車までしばらく待つ。そういえば、周辺にカメラを持ったような人とか、岩国の海上自衛隊員が少数ちらほら。んー? あ、そうか。そういえば今日は岩国のちびヤンの日だったか。……最近、この手のイベント行ってないなぁ…。
 しばらく待つと、改札の目の前の岩徳線ホームに列車が入線。

 まず取り掛かるは岩徳線。岩国7時16分発2225Dキハ472両編成。最初は座席選び放題だったものの、山陽本線上り列車が到着すると、高校生が大挙して乗り込んできた。座席がそこそこに埋まり、立つ人も居る。部活かなんかで出るんだろうか。
 さて、列車は定刻に岩国を出発。山陽本線から分かれ、岩徳線を走る。よう考えたら、こんな季節のこんな時間に、岩徳線を乗り通すなんて後藤くらいなもんだろうなぁ。さて、岩国で大挙して乗ってきた高校生も、川西で退去して降りていく。川西駅には、錦川鉄道錦川清流線の起点もあるんだけど、実際の分岐点はもうちょっと先の森ヶ原信号所で、川西からトロトロと上がっていくと山中に突如として信号所が現れる。
 まぁ、岩徳線も基本的には非電化ローカル線なんだけど、歴史的には山陽本線のバイパスルートとして建設された「元山陽本線」だから、ほとんどの駅でホームは長いし、線路の形状もローカルにしてはいいのよね。もしも歴史が間違ってたら、今は複線電化のバリバリの本線ルートだったのかもしれないけど。ちょっと急な勾配と、欽明路トンネルのような長大トンネルがあることがネックだったのよなぁ…。
 現在は所々にある制限20とかに引っかかってゆっくりと進みながら、並行する道路とともに山を登り欽明路トンネルに突入。ローカルにしては非常に長いトンネルの中で上りから下りへと変わり、今度は山を降りていく。このへんから、早起きのせいでウトウト。徳山に8時34分に到着。

 再び山陽本線に戻り、徳山8時41分533Mで新山口へ向かう。途中でパラパラと雨が降り出し、新山口につく頃には本降りになった。この雨が、後に大変な事態を引き起こすことに……。
 新山口駅で、今度は山口線に乗り換え。山口線は、やまぐち号に乗りに来た時に津和野までは乗ってるんだけど、それより先はまだ残ってるので。それにしても、新山口という駅名はいまだにピンとこんなぁ…。現業機関では、まだ「小郡」の名が残っているところもあるんだが…。

 新山口9時36分発635D山口行き。キハ47の2両編成。まぁ、最近の非電化線区ってキハ40・47が中心だしなぁ。重たい車体に非力なエンジン。まぁ、仕方がないっちゃぁ仕方がないんですが。車内は座席が埋まる程度の乗りで、カメラを入れたであろうバッグを持った人がちらほら。今日もやまぐち号を運転するから、どっか撮影ポイントに行くんだろうなぁ。

 山口駅で、今度は10時3分発2541D益田行きに乗り換え。キハ40の単行。車内はさっきと変わらず、乗り換える人も多い。カメラバッグを持った人も続いて乗車。列車は順調に山口線を北上し、宮野まで到着。そういえば、沿線にもカメラを構えた人が大勢いるなぁ。天気があんまりよくないけど。
 さて、宮野を出た列車は有名な撮影ポイントでもある上り勾配を駆け上がり、仁保へ向かって歩を進める……。と、列車のスピードが下がって、なーんか妙な音がしだす。どうもこの音は空転してるような…。仕舞いにゃ、まったく進まなくなった。雨とこないだの台風で散った葉のせいで、滑ってちっとも上らない。エンジンもゼーゼー言い出すし、運転士も悪戦苦闘。たまたま乗ってた社員の助けも出たものの(後藤も社員だが、運転取り扱いとかDCの知識とかないし)、運転再開→唸るエンジン→空転→ちっとも進まない→停車の繰り返し。

 運転士曰く、S字カーブの所で上がらなくなった、とのこと。これで後続のSL上がるのか? 連絡用の携帯電話で指令と協議しながら、線路に下りて砂撒き管の砂を出したりしつつ、30分以上の苦闘を続け、やっとこさ上がった。仁保駅に30分以上の遅れで到着。篠目で行き違った対向列車も、ずーっと待ってたんだろうなぁ…。
 あとの道中は、遅れを引きずりながらも山口線を走る。津和野駅も遅れはあまり回復せずに到着。ここで対向列車待ちのため10分停車。津和野は晴れ間が広がってるのになぁ…。ここで乗客の2/3が入れ替わって、高校生が乗ってきた。結局、遅れはあまり回復せずに、終点益田には30分近い遅れを抱えたまま到着。スーパーまつかぜに乗る予定だった人は、そのまま快速に乗ることに。
 後藤は、最初っから快速に乗る予定だったので問題ナッシング。

 益田12時37分発3454D快速アクアライナー米子行きに乗車。車両はもちろん、キハ126。1号車は団体さんが乗っていたので、ガラガラの2号車のボックスに陣取る。しかし、すごくいい車。加速は気動車とは思えないほど滑らか。これがハイテク気動車かっ、って感じ。宮野−仁保の勾配を上がれなくなるキハ40とは違うねっ。車内も広いし、雰囲気というか、作りというか、イメージ的なものは223系なんかとよく似てる。JR西日本の車って感じだろうか? 降りたあとに床下を見たけど、機器配置がもはや電車だもん。
 さて、海側のボックスを陣取ったので、ハイテクディーゼルの心地よいサウンドと滑らかな加速を味わいながら車窓を眺める。天気も回復したし、社内は快適だし、海はきれいだし。

 三保三隅では、旧線が別れてこれが中国電力の三隅火力発電所へと繋がっているとか。美祢線の美祢駅との間でフライアッシュと石灰石の輸送をやってるんじゃなかったっけな? ちなみに車窓から見た三隅火力発電所、すっげぇデカくてきれいで見学に行きたくなるような雰囲気だった。
 浜田はいつだか車で来たなぁ、この辺の風景は車から見たし見覚えもあるなぁとか見つつ、途中で転寝などしながら、益田からほぼ1時間の12時36分に江津着。ほんとに乗り心地のよい車だった。いや、乗りつぶし途中でやめて、そのまま米子まで行って実家帰ろうかと思ったくらいだもん。他の線区にももっと積極的に入れてくださいお願いします我が会社様。
 さて、次がいよいよ問題の三江線。時間まで1時間半近くもあるので、とりあえず周辺散策ってことで改札の外へと出る。

 駅を出て一言。やっぱり、地方都市って寂れてるのね…。店はほとんどがシャッターを下ろしてるし、目の前のホテルも営業してるのかしてないのかさっぱりわからない。地方都市にありがちな小さいデパートも営業をやめてからだいぶたってそうな雰囲気だったし、第一人通りが少ない。以前の乗りつぶしで行った、指宿とかと似たような雰囲気だもんなぁ。
 さて、そうは言っても腹は減ってるもので、適当な食堂に入って飯をかっ食らう。白味噌の味噌汁がえらく甘く感じたなぁ。食いなれたファーストフードなんかが少ない地方都市ならではの、地元の食堂の飯を食うのも旅の醍醐味よね。その後、周辺を再度散策。散策ってほどのものでもないような気はするが…。で、適当な時間に駅へ戻る。

 これこそ今回の旅のメインイベントといってもよい、三江線。江津15時5分発451D三次行き。実は、9月に三江線のダイヤ改正が行われ、江津を若干速く出て三次にやや遅く着き、三次で急行に接続しなくなるという、このヤローなことに。何とかなんねーのかよこの会社…。
 とりあえずボックスに陣取って、江の川沿いにゆっくりと進行。つうか、制限30だの20だの、そんなふざけたのばっかしだし。

 ま、いいか。所詮は三江線だし。車内は江津発車時点でまぁそれなりに乗っていたのだけれど、川戸で後藤ともうひとり似たような目的っぽい人のふたりだけに。んー、あの人、確かアクアライナーでも見た様な気がする…。
 で、ボックスに陣取っていたのだけれど、今までずーっと座りっぱなしだったのと、スカスカのモケットのせいで尻が痛くなる。このまま三次まで行くのはさすがにイヤだったので、客がぜんぜん乗ってないことをいいことにクロス部のすぐ横のロングシートへと移る。ロングの方がモケットに適度な固さがあってすわり心地いいんだもん。靴を脱いで、足を伸ばして今日も三江線はゆっくりと進行。建築限界を超えた植物が車体に当たってバコバコ言わせながら、今日も行くぞキハ120! 壊れても知らんぞ。
 で、石見川本で女子高生が割と乗ってきたので、足伸ばしモードも終了。その女子高生も、少しずつ降りていく。浜原を出ると鉄建公団線として作られた路線になるので、ノロノロがなくなって快調に飛ばし始める。

 沢谷駅、いつまで何を飾ってますか。1年中お正月モードかい。そんなこんなで進んで、女子高生は石見都賀までに全員降りてしまいますた。そしてその次はド田舎の高架駅で有名な宇都井。いっかい車で来て、ホームまで上がったことがあるけど、確か利用者がいるんだよね…。ここは、もっかい車で来よう。さて、口羽まで到着すると、鉄建公団線は終了し、再びノロノロ運転が始まる。でも、全体的にはけっこう楽しめた路線ではあるかな? 夕方、定刻どおりに三次駅に到着。さぁ、あとは広島へ戻るだけ。

 三次18時19分発1871D広島行きに乗車。車両は見ての通り、オーソドックスなキハ47の2両編成。これで、キハ40・47系に乗るの何回目だったっけ? しかし、これに乗らないと帰れないからしぶしぶ乗車。行き違いでえらい待ち合わせをするダイヤだったので、2時間かけて広島着。その間、通路を挟んで斜め前のボックスに座ってた女子高生が気になって仕方が無かった。(ぉぃ

 そんなわけで、西中国山地をぐるっと周って横断して帰ってきました。大変お疲れ様でした。


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