2004年新春 関西乗りつぶし前編
京都方面乗りつぶし第一弾


 今回の旅の主目的は、まぁいつもの通りスパロボ系ライブ(アニメジャパンフェス2003−2004)でして、って、最近はこれの系統でしか関西来てねえからさ…。出張とか研修で来ても、乗りつぶしなんかやるヒマもないし。というわけで、前回の反省を踏まえ、出来る限り余裕のありつつも、効率的な行程を組む。前回はML九州から延々19時間乗り続け、非常に効率的に乗りつぶせはしたものの、あまりにも体力を削ぐ行程であったので。でも、夜行列車で朝早く関西入りして乗りつぶしが開始できるのはいいなぁと思ったので、今回も同じく夜行で入ることに決定。ただし、今回はきちんと寝台列車。

1月10日
 土曜出勤。でも、前回と同じでまた6時間勤務になった。…係長には何も言うとらんのだが。後藤が旅行するとかなんか知ってるんですか係長? まぁいいや。寮を21時過ぎに出発。笹原発21時27分の鹿児島本線普通列車で博多駅へと向かう。ここで新幹線に乗り換え、一路新下関へ。いや、もちろん乗る寝台列車は「あかつき」なんですが、今回は後藤の魔法の都合上、下関から乗ることにしたのですよ。九州内は、新幹線以外魔法が効かないので…。
 で、博多駅について目に付いたのがこだま554号。本来なら、その次のこだま592号の予定だったんだけど、案内表示の「こだま554号 広島 8両」の文字に引かれて、ふらふら〜っと新幹線ホームへ上がってしまった。この時点ですでに行き当たりばっ旅開始

 てことで、E編成使用のこだま。要するに「こだまレールスター」なわけだ。8号車が指定席で、あとは全部自由席の乗り得列車。ということで、やっぱり本来は指定席扱いの4号車から7号車に乗るしかないよな! ってことで、7号車に陣取る。とはいえ、こだまはあともうちょっとで全部4列座席の0系WR編成か、100系のKもしくはP編成で統一されるんだけどね。

 新下関で下車し、こだまを見送る。こんな時間まで外に出てたのって久しぶりだな。しかも新下関。走行試験で幾度となく降り立った駅であるわけですが、走行試験のときはこの時間帯、新下関と小郡(当時 現:新山口)の間をトライアルで走り回ってたもんなぁ。ちなみに、深夜帯に新下関と新山口の間にいると、時々怪しい列車が怪しいもの乗っけて怪しい試験やってたりします。変な台車カバーつけたC編成とか。パンタグラフをライトで照らしてるW編成とか。微妙なフィン付けたB編成とか。そういうのに敏感なRF誌に載っていないということは、割と捕捉されていないのかもしれんな。外から見てもおもしろいのに。
 さて、在来線側の出口へ向かって長いホームをスタスタと歩き、在来線ホームへ。

 だーれもいません。ものすっごく寒いです。どうやら、さっきのこだま554号と同時刻で下関行きが出て行った模様。接続0分なんてできんって。22時42分発下関行きが来るまで、なーんにもないから待つしかない。つうか、通過列車も来やしねえ。本当にここ幹線か? という感じ。…よくよく考えたら、普通列車の本数もあんまり多くねえもんな…。シーンとした駅のホームで、暖かい午後の紅茶ミルクティーを自販機で買って、ボケーっと飲みながら待つ。
 約30分後、やってきた115系3000番台。車内はガラガラ。真っ暗な車窓を眺めながら下関へ。GCT実験所もひっそり。そういえば、ここに見学来たのはもう1年以上も前のことだな…。そいや、03年はGCT関連の勉強会とか、ぜんぜんなかったような気がする…。
 幡生に到着して、「あー、本社の方針が変わらなかったら、今頃ここで仕事してたんだろうなー」とか思ったり。言っておきますが、後藤はもともと在来線検修として採用されたつもりだったんだけどなぁ…。まぁ、いいけどさ。

 下関着。ここも、もうひっそり。とりあえず地上へ降りて、コンビニで買出しをしようとホームを改札口方面へ。てところで、気がついた。

 駅のホームにはあって当たり前だった、洗面所。昔の汽車旅の風情を残すもの。だいたい、大きな駅ならどのホームにもあったものらしいですが。姫路駅にもあったけど、あれはもう廃棄寸前。でも、この下関のは比較的きれいにされてた。
 さて、階段を下りて改札口を抜け…。んんん?

 自動改札になってる。魔法で乗ってたから、一瞬だけ通しても大丈夫かどうか考えてしまったよ。無事通過できたけど。いやしかし、広島支社で一番最初に入ったのが、広島駅じゃなくて下関駅になるとは。まぁ、九州の都市圏は全面的に自動改札が導入されてるから、九州とつながりの深い下関なら当たり前といえば当たり前か。でも、Jスルーは使用不可。もちろんICOCAも。とはいえ、形としては新しいタイプだと思うから、ソフトウェアの入れ替えで対応できるんだろうな。広島都市圏も、出来る限り早く自動改札&Jスルー化してほしいもんです…。
 さて、閉店間際のハートインに入って、寝酒とつまむものを買って、再びホームへ。列車が入ってくるまでの間、しばし、うろうろする。

 この長いホームが、昔の下関をしのばせる。今はなーんにもない。遠くに荷物用エレベーターがあるだけで。上屋もレトロな作りだし、うまく再生すれば面白いんじゃないかと思うんだけどなぁ…。
 しばらく、各線の最終列車を見送りながらあかつきを待つ。

 しばらくしてから、牽引機のEF66が下関運転所から上がってきた。下関って、割と効率的な駅の配置してるんだよな。門司方に、下関運転所に入出できるアプローチ線があるし、貨物も、ホームを通らなくて済むように通過線を通ってるし。
 そうして待ってると、門司方からEF81に引かれた彗星・あかつきが入線。

 思ったよりも乗ってた。ガラガラだと思ってたけど、意外と乗ってるんだな…。あ、でも後藤は「あかつき」の指名買いしたからかもしんない。彗星のほうは覗きに行ってないからなぁ。
 今晩の寝床に収まって、静かに寝酒を注入しながら車窓を眺める。適当なところで横になる。…B寝台って、こんなに狭かったかなぁとか考えながら。まぁ、確かに寝台に最後に乗ったのは、9年も前の小学校6年の夏だが。東京発出雲市行きの、今はなき出雲3号。あのころは、今と比べるとまだ子供だったしな…(クラスの中では、割とデカイ方だったが)。あの時はどうだったかなーとか思いながら、列車に揺られて就寝。


1月11日
 あんまり眠れんかった…。三原の高架とか、東福山のあたりで起きたのを覚えてる。東福山は、JFE専用線の鉄橋を見て判断したな…。寝て起きて寝て起きて。その後も、姫路でまた起きて、三ノ宮で起きて、結局、大阪到着で完全に目を覚ました。身支度しながら、車窓を眺める。しかし、あまり眠れなかったのと首を痛めてたせいもあって、頭が重い…。

 京都駅に到着。彗星・あかつきの併合運転時から、牽引機がEF66になりました。今までは東京行きしか牽引してなかったし、まぁ、寝台そのものの運転本数が減ってるから、EF66も運用が余り気味らしいけど。でも、昔は寝台の直流ELって言うと、みーんなEF65だったんだよなぁ…。
 さて、JR嵯峨野線(山陰本線)乗り場へ向かい、普通電車で太秦へ。

 8時5分発の113系の8両編成。前4両が体改車。こっちはガラガラ。まぁ、逆方向だからな。転換クロス部に収まって、太秦へ。京都方面の列車はそこそこの乗りようだから、割と乗車率はいいみたい。これが、JRになった直後までは非電化だったなんて思えませんな。学研都市線(片町線)と同じくらい、大きく変わった路線ではある。2003年末から園部までの完全複線化工事が始まった嵯峨野線ですが、二条〜丹波口のあたりはどうすんのかなーとか思ったり。住宅もあるしな。

 太秦駅到着。2面2線の駅なんだけど、交換がないときは園部方面も直進側の右側通行をして、駅舎側に到着の1線スルー方式。この太秦も、複線化工事で高架駅になるそうな。花園〜太秦間は、沿線住民が勝手に作った鉄道敷地畑がいっぱいあるから、ここ使うんだろな。
 で、ここから細い道をテクテクと歩いて京福電鉄の帷子ノ辻駅へ。駅の姿自体はわりかし近くに見えるんだけど、道がなんかわかりにくくてさ。ぐるっと回って到着。

 地下駅舎なんだけど、係員おらず。まぁ、車内収受が基本何ですけどね。ここまでは予定通り、8時36分発の北野線の列車が来るまでしばし待つ。

 で、やってきたのがレトロ風電車。あくまで「風」なのがポイントですが。車内もレトロなつくりにはなってるし、屋根も2重屋根「風」で昔はこんなんが走ってましたって感じをかもし出す。
 んで、嵐山本線の列車と接続をとって、定時に発車。どうでもいいけど、なんで京福は乗務員扉が引き戸なんでしょう(叡電もだけど)。開き戸と比べたら…、あー、微妙だ。検修する側としては、どっちもそれなりにめんどくさい。開き戸は在来線のヤツでも重たいし(ひとりで持てません)。
 車内は、座席がさらっと埋まる程度で、地元の足になってる様子。線路はわりかしアップダウンの住宅地を抜けていくルート。京都も、意外と平地は多くないんだよな。

 北野白梅町着。これで、京福電鉄は完了。さて、ここから出町柳まで移動するんですが、地図上では今出川通を東へまっすぐなんだけど、とても歩いていけるような距離でもないので、バスで移動。個人的には、時間がはっきりしない(というか交通状況によって時間が大きく違う)バスはあんまり好きじゃないんだよな。てなわけで、実際問題ここからの行程は非常に流動的になる可能性があったのですよ。
 バス乗り場の案内に従ってバス停までたどり着くと、どうやら予定してたバスよりも早く急行バスが先にくるみたい。ってことで、これを待つことにする。しかし、寒い…。雪も降ってきたし。

 8時58分の定刻よりもやや遅れて、バスが到着。車内もそんなに乗ってなかった。まぁ、まだ朝だしな…。今出川通を東進して、ちょくちょく乗客を集める。でも、立ち客が出るか出ないかくらい。ところで、出町柳の手前で、賀茂大橋を渡らずに左折して、上流側の出町橋、河合橋を渡ったのは、出町柳駅前に乗り付けるためなのかな?

 出町柳駅着。ここから叡山電鉄に乗車。京阪が鴨東線を開業するまでは、非常に厳しい経営環境にあったらしいけど、ここ数年は、若干戻してきているとのこと。そもそも、京都市電が廃止になったときから、出町柳という離れた場所に追いやられて「抜け毛」路線になってしまったんだが…。昔は路面電車と接続してたけど廃止になって、のちに新線建設して接続するというのは、名古屋の名鉄小牧線・名古屋市営上飯田線と同じだなぁと。
 行程前倒してきたので、行き当たりばっ旅ということに。そこそこ、運転本数が出てる区間なら、行き当たりばっ旅でも行けるんだよな。

 まず、先発する叡山本線から。叡電って言うと、名古屋に本社のある電器屋出町柳出たらすぐに山岳系の路線っていうイメージがあったんだけど、しばらくはわりかし住宅地を通っていく路線。どちらかといえば、路面電車や京福のような、ライトレール系の路線なんだよな。
 とここで、携帯受信。鉄馬さんが出町柳にいるらしく、後藤がすでに行程前倒しで進めていることを伝える。ってことで、宝ヶ池で合流することに。とりあえず、後藤は叡山本線の八瀬比叡山口まで向かう。宝ヶ池を出ると、住宅街から抜け出して、山岳系の雰囲気に。八瀬比叡山口前で、左手に見える妙な空き地は、昔ここに遊園地があった後らしい。なんでも、八瀬比叡山口は、以前は八瀬遊園という駅名だったらしいが…。ググったらこんなの出てきた。昔は、いっぱい人が入ってたんだろうなぁ…。

 現在は比叡山への上り口にもなってるところなんだけど、やっぱりなんか寂れてるなぁ…。時間が合ったら、ホントはケーブル乗り継いでトレッキングしながら、比叡山〜延暦寺を歩いて、反対側の坂本の方まで行こうと思ってたんだけどなぁ。でも、冬だから寒いだろうな…。…んー、今度また考えよ。
 さて、乗ってきた電車で引き返し、宝ヶ池で乗換え。乗務員に運賃払って鞍馬までの乗車券を引き換えてもらい、反対側の鞍馬方面のホームへ。ここらへんから、叡電も山岳系の風景になってくるんだよな。やがてやってきた電車で、鉄馬さんと合流。お話によると、どうやら烏丸今出川でバスに乗車して奇襲をしたつもりが、後藤が先行してたせいで外してしまったとのこと。どうやら、後藤は奇襲攻撃をかわしてしまった模様…。
「前回、大阪駅で奇襲攻撃にあってますから」
 いやいやいやいやいや。(汗)
 大変失礼しました。
 そんなわけで、いろいろと鉄談義をしつつ、山岳路線の叡電を登っていく。

 鞍馬着。ワンマン運転も始まったようで、経営合理化に向けていろいろと大変そうな会社ではある。鞍馬の駅舎は、鞍馬という地名にふさわしい形をしていて、屋根にコケなんかも乗ってたりする。望めば乗っかるようなもんでもないだろうから、環境がそうさせるんだろうなぁ。
 さて、鉄馬さんとふたりでしばらく付近を散策。時間があるんなら奥の方まで行ってもいいんだけど、後がどうしても詰まっててゆっくりしてるヒマがあまりなく(行程前倒しはしてるけどね)次の行程もあるので、やめておく。

 商店の前のあたりに、ミニとそのミニに非常によく似ているミラジーノが並んで止まっているのを見つける。のりものマニアとしては、こういう比較対照してしまうものが並んで止まってるのを見ると非常に嬉しい。でも、オーバーフェンダー付きのミニはあんまり好きじゃないんですが。
 さて、鉄馬さんによると次の列車がきらら397とのことなので、それに乗車するため再び鞍馬駅へ。

 日本に数多く存在する電車の中でも、非常に個性派といえるのがこの900系「きらら」。叡電の持つ「山岳路線を魅せる」というコンセプトを具現化した、非常に出来のいい車両ですね。あえて外に向いた座席や、屋根まで回り込むような総ガラス張りの車体。ドイツにも似たようなのがいますけどね。ただ、こいつはラッシュ時にも運用されたりするらしく、そこらへん叡電らしいかなと。
 せっかくなので、外向き座席へ。ただ、外向きの座席は交換列車があるときなんかは目のやり場に困りますな。おにゃのこの着替えであれば、目のやり場に困るなんて事はないんですが。(w
 さて、出町柳まで戻ったところでメシにでもしますか? ってことになって周辺を歩いてみたものの、これといった店がなく、結局は枚方市までいくことに。京阪出町柳駅に下りて、淀屋橋行きの特急に乗車。んで、京阪特急って言うと、K特急という謎種別が出来たことが非常に記憶に新しい事はさておき、2階建て車が連結されてたり、テレビカーがあったり、はたまた前面展望席があったりと非常にバリエーションに富んでいるのですが、今回は前面展望でかぶりついてみようかという話に。最近はあんまりかぶりつかないんだけど、まぁ、せっかくの京阪カーブ式会社(使い古されたネタ)だしね。そんな後藤も、今日はおけいはん。(w

 って、やってきたのが9000系かよ。そして、運転席側は一人用かぶりつきロングシート。水色のラインが「万能車」を表すようなもんか? いや、いいけどさ。もともと、ラッシュ時間帯の特急が停車駅増やして、そのために作られたような車種だけど。このころから京阪も停車駅を増やしてきてるんだよな。それにしても、ひとりがけのロングシートって新機軸だな…
 京阪本線は以前の乗りつぶしで乗っているので省略。
 さて、枚方市に到着したところでいい加減腹も減ってまいりましたと言うことで、ラッチ内のカレースタンドで食事。

 腹を満たしたところで、再びホームへと上がって交野線に乗り換え。交野線も朝のラッシュ時間帯に淀屋橋直通のK特急「おりひめ」、夕方に準急「ひこぼし」を設定しましたが、割と住宅地も多く建っているところなので、需要はあるんだろうな。どこぞのおけいはんも言っておりましたが、「おりひめ」と「ひこぼし」は遭遇さえも出来ないと言う悲しき列車名。まぁ、朝専用缶コーヒー種別と夕方専用種別だからな…。

 列車は各駅にちょこまかと止まりながら、終点私市に到着。モーターが唸りを上げたのは、JR学研都市線またぐ区間だけ。非常にのんびりとした路線でした。さて、私市。非地元民以外じゃ、この地名読めんっての。後藤も「きさいち」だったか「さきいち」だったかわからなかったもん。おまけに、ひらがなでも同じような文字が3つあるという、外国人に書かせたらすごいVOWネタになりそうな地名ですが。
 駅舎はコンパクトに、おしゃれにまとめた感じ。ここも、トレッキングするのに割と最適な駅らしい。
 さて、列車を1本落として、今度は河内森まで戻ります。盛土駅なのに地下駅舎という、なんかワケのわからん河内森駅を出て、しばらく徒歩連絡。すると、割と立派な駅前ロータリーを持つ河内磐船に到着。

 ここから、JRで京橋へ。やっと、ICOCAを使えた。え? 関係者なのになんでそんなもん持ってるのかって? だって、今の後藤は魔法が効かないんだもん…。福岡在住だから…。職級がひとつ上がらないと、強力な魔法はもらえないのですよ…。
#現在、一番下っ端。
 さて、久しぶりに207系に乗車。学研都市線も、JR化後に急速に発展した線区ですな。前は103系の牙城で、アーバンネットワークでもほとんど唯一と言っていいくらい分離された路線でしたが、東西線が開通してから運用的には本線系統(京都・神戸線)に組み込まれて、かなり広範囲で運用がされております。
 京橋に到着したらラッチを出て、雑踏を掻き分けながら地下鉄の長堀鶴見緑地線へ。ここらへん、写真撮ってません。京橋グランシャトーってこんなところにあるのかーとか思いながら。京橋は〜♪
 長堀鶴見緑地線は、地下区間なので特に書くことなし。

 門真南に到着。これで、今日の乗りつぶし日程は全て終了。さて、この門真南。鉄馬さんから、「ここはすごい」と聞いてたので、ホーム階から地下コンコースへ上がってみると、自転車がシャー…。
(ーー;)???「なにここ」
 普通、地下鉄の駅ってみんな歩いてるじゃん。例え駐輪場が地下にあるとしても、普通はコンコースと分離されてるじゃん。だけどここは、完全に一体化されてる。まるで、フツーの駐輪場のようだ…。まず第一に、人が少ないし。
 で、外に出てみる。

「うわぁ、寒っ!」
 いやさ、スロープ状の階段(駐輪場があるから)を上がってるときから青空が見えてるから、なんかヤな予感がしたんだよ。普通、地下鉄の出口階段上ってると、ビルの陰とかそういうのが見えるし、車の音とか雑踏の音がするじゃない。ここ、すっごい静かなんだもん。周りには、なみはやドーム意外なーんにもない。なみはや国体のために作ったんだろうけど。ホントは、ここからもっと北の方に伸ばしたかったんじゃないのかなーと、思ったりするんだが…。でも、伸ばすとしても四条畷か萱島かどっちかくらいしかねえよ…。…だめだ、なみはや国体が終わってしまった時点で、この駅の存在意義が中途半端すぎる!
 もういいや、これだけ見てもうおなかいっぱい。さ、予定が詰まってるので大阪市内へ戻りましょ…。

 リニア駆動に揺られて地下を走る。なお、この後某所で某お方を襲撃してみようとしたのですが、見事に空振りに終わってしまいました。で、なんばまで移動して、鉄馬さんとはお別れとなりました。
 この日、早起きまでしていただいたのに後藤の行き当たりばっ旅によって奇襲攻撃を思いっきり空振りにしてしまったうえに、その行き当たりばっ旅に付き合っていただいた鉄馬さんに、心から感謝いたします。どうもありがとうございました。懲りずに、また奇襲掛けてください。
「さ、今度はどうやってかわしてみよっかな…」(w
 なお、このあと後藤は旅の主目的であるライブのため、なんばHatchへと向かいました。あ、今回は曲目書かない。めんどくさいから。
#肩と首が痛くて頭が重かったのは、ライブで腕を振り上げてたら大方治りました。(w


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