布原


 親が新見に用事があったので、一緒に車で出かけた。夏休み、小雨が降ってきそうな薄暗い曇りの日だった。
 実家のある日南町から新見までは県道と国道を使って30分くらいかかる。実家の集落自体が岡山県に近いので、谷田峠を伯備線はトンネルで、県道は坂道を通って岡山県に出る。しばらく行くと、高梁川の上流に出る。県道はこの高梁川に沿いながら、伯備線は数多くの鉄橋を渡って下って行く。途中、足立では石灰石を産出する鉱山がある。そこだけは県道も石灰石工場の中を通るような感じで、道は白くなっている。
 県道と国道の交差点を左に曲がるとトンネルがある。右下に中国自動車道が走っている。トンネルを抜けて、しばらく進むと新見の街に入る。私達は、そこで用事を済ませた。

 伯備線で新見と言ったら、鉄道の拠点駅でもある。伯備線を軸に、広島、三次から備後落合を通って備中神代で合流する芸備線、中国勝山、津山、遠くの姫路からやってくる姫新線。これらの列車の多くは新見を中心に運転されている。広い構内には2つのホームと、幾つかの側線が並んでいる。だが、昔は機関区が置かれた一大基地でもあった。今となっては、山側にあったであろう機関区の設備は何も無くなり、列車の終着駅で折り返しをするしかない寂しい駅になった。

 用事を済ませた私達は、私の発案で布原を通っていくことにした。布原といえば、あのD51蒸気機関車3重連で有名な場所であった。
 新見の街外れから国道を左に曲がる。伯備線の小さなガードをくぐり、坂道を登った。この道は、今となっては交通量の少ない生活道であるが、国道のトンネルが開通するまでは、この道が国道であった。しかし、車の行き違いも出来ないような細い道を、車がたくさん通っていたとは、私には想像できなかった。
 曲がりくねった道をしばらく行くと、左側に谷が現れる。そして、途中でまた細い道が分岐していた。この道を下り、山から下りるとそこは桃源郷のようなひっそりとした集落があった。
 欄干のない橋を渡り、布原駅の下に車を止めた。信号機械室と気動車1両がやっと止まれるくらいの短いホームが2本。寂しい駅だった。カーブした構内、線路脇に茂る雑草。駅舎のあった場所は、位置を知らない私にはわからなかった。
 備中神代側を見る。カーブした線路は、どこかで合流し、布原の谷を超えていくように、鉄橋を渡って向こうへと消えている。新見側。カーブは右に弧を描き、やがて鉄橋を渡ってトンネルに入る。そのトンネルの上、たくさんのファンが集まったであろう山は、木が覆い茂っていた。

 −昔に戻る
 石灰石を積み出す足立駅で組成されたホッパー車は、石灰石を満載して工場を出る。3重連のD51蒸気機関車と連結し、伯備線を下る。蒸気機関車からは、煙は出ず、軽やかに下って行った。
 備中神代を通過、鉄橋を渡ってカーブを回る。そして、ゆっくりと速度を落として停車した。ここが、布原。3つの蒸気機関車はしばしの休息を取る。
 駅舎から、助役が駆けてくる。
「通票、マル!」
「通票マル、よし!」
 弁から、蒸気が漏れる。信号機が青になる。助役が腕を高く上げた。
 3つの蒸気機関車が順に力強い汽笛を鳴らす。そして、煙を高く吹き上げて小さな布原の集落にドラフト音と煙を残し、ゆっくりと鉄橋を渡ってトンネルに飛びこんで行った。

 私が布原駅の小さなホームに立っていると、3重連の機関車が一生懸命登っていった坂道を、気動車の特急でさえ黒煙を吐き出して登った坂道を、電車の特急やくもが走りぬけて行った。そこに残っていたのは、軽やかなジョイント音と、少しだけ目に焼きついたヘッドライトの光だった。


 後藤が布原に行った時のことを、ちょっと脚色気味に書きました。通票が本当にマルだったかどうかはわかりません。(汗)